H2Hマーケティング実践編
「正義とは?・その29:
代理出産の是非
市場と倫理に関する議論の事例として、前回は兵士の集め方(徴兵制か市場方式か)を紹介しましたが、今回は代理出産の是非に関する議論です。
「ベビーM事件」と呼ばれ、1980年代の米国で、不妊に悩む夫婦が代理母の女性と契約を交わし、夫の精子、代理母の卵子と子宮で生まれた子どもの親権をめぐる裁判です。女性は1万ドルで契約を交わしたのですが、出産後に子どもとの別れが辛くなり逃亡したのです。
予審では、双方合意の上での契約だったということで、産みの親である女性の親権は否定されます。
しかし、州の最高裁判所では、予審の判決を覆し、代理出産契約は無効だという判決を下しました。代理母に十分な情報が与えられておらず、契約自体が真に自発的な意志に基づくものとはいえないこと、また、赤ん坊の売買行為に当たるとし、(経済的な背景もあり)子どもの養育権は夫婦側に認められたものの、代理母に訪問権を与えるように命じました。
この裁判について、リバタリアンは、契約は選択の自由を反映したものであり、契約を支持することは彼らの自由を尊重することだと主張。功利主義者も、両者が取引に合意したのであれば、双方が何らかの利益や幸福を得ていることになるとして、やはり契約を支持します。
サンデルは、主要な論点として「自発的な同意とはどのような場合なのか」と「なぜ赤ん坊や女性の生殖能力をお金で買ってはいけないのか」という2点に絞られると言います。
前者については、ロールズの政治哲学を検討することで理解できるとし、後者については、人間の尊厳に関わるものであり、単なる効用で評価されるものでなく、もっと高い規範で評価されるべきものであり、これについてはカントを学ぶことで理解できるとしています。
「ベビーM事件」は様々な立場・観点から多様な議論をひき起こしたのですが、代理出産ビジネスは別の方向へと舵を切ります。卵子を提供する女性と、子宮を提供する女性を分けることで、卵子、子宮、母親の間の従来の結びつきを取り去り、法律面でのリスクと感情面でのリスクを減じるようにしたのです。
卵子は不妊に悩む夫婦の妻が提供することが多いそうです。そうなると、精子は夫、卵子は妻ということになりますので、夫婦二人の遺伝的特徴を引き継ぐことになり、依頼する側の精神的なハードルはかなり下がります。
そうなると、彼らが必要とするのは、健康で、妊娠を引き受け、出産まで一定の行動規範(飲酒、喫煙、薬物などをしないこと)に従ってくれる女性、つまり子宮を貸してくれる人ということなり、「借り腹型代理出産」ビジネスへと転化します。
そうなってくると、もはや同じ国、同じ人種である必要もなくなってくるわけで、安価に代理出産の引受をしてくれる途上国の女性が、その役割を担うようになっていきます。サンデルの本の中では、インド西部の町が、代理出産の世界的な集積地になっており、代理母の女性たちが、それまでメイドなどの仕事で得ていた20倍もの報酬を代理出産で受け取っている様子が紹介されています。妊娠のグローバル・アウトソーシングが行われているわけです。
サンデルは、兵士の話、代理出産の話を通じて、私たちは、2つの問題に向き合わざるを得なくなると言います。
1つは、自由市場でわれわれが下す選択はどこまで自由なのかという問題、もう1つは、市場では評価されなくても、金では買えない美徳やより高級なものは存在するのかという問題です。
次回は、それらを考えるためのヒントを与えてくれるカントの話に移って行きます。
(by インディーロム 渡邉修也)


