H2Hマーケティング実践編
「正義とは?・その27:
ノージックの自己所有権
サンデルは、リバタリアンの原理を擁護し、分配の公正に対する疑問を提起したロバート・ノージックの考えを紹介します。
ノージックは、個人は「非常に強力で広範囲に及ぶ」権利を持つから、「国家にすることが仮にあるとして、何をすることが許されるのかという疑問が生じる」と言います。
そして、ノージックの結論は「契約を履行させることおよび、暴力、盗み、詐欺から国民を守ることに権限を限定された最小国家だけが、正当な存在である。それ以上の権限を持つ国家は、何かをするように強制されないという個人の権利を侵害するため、正当な存在とは言えない」というものです。
中でも目立つのが、他人を援助することに対する批判で、貧しいものを助けるために富める者に課税することは、富める者への強制であり、自らの所有物を自由に利用するという、富める者の権利を侵害するものだ、というものです。
ノージックは、「問題は人間の自由にほかならない」、「働いて得た所得に対する課税は強制労働と同じである」、「国家のために働くことを強制できるのなら、国家は事実上私に対する所有権を主張していることになる」、つまり奴隷状態と同じだ、と主張します。
サンデルは、バスケットボールのスタープレーヤーであったマイケル・ジョーダンの収入に対する課税を例にしながら、課税を否定するノージックへの主な反論と、さらにそれに対するリバタリアン側の回答を紹介していきます。
いずれも、なかなか結論を出すのは難しいのですが、突き詰めていくと「自己所有権」つまり「私は私のものか?」という概念に収斂されていくことが明らかになっていきます。
サンデルは、腎臓を売ること、幇助自殺という2つのエピソードを紹介しながら、「自己所有権」をどう考えるべきか、さらに問いかけていきます。
腎臓を欲する人と腎臓を提供し金銭を得る人の間で合意のもとに契約が交わされたのであれば、それは問題ないとリバタリアンは考えます。
腎臓の売買は、多くの国で禁止されています。仮に、命を救う目的に限定した臓器売買が認められたとしても、買う側が豊かな国の人で、売る側が貧困国の人で生活苦から自らの腎臓を売る状況に追い込まれた状況下で契約を結ぶこともあるでしょう。双方合意の契約で証書上は有効な取引でも、このような契約は本当に対等で公正な取引と言えるのでしょうか?
幇助自殺については、安楽死を認めるべきという意見もありますが、サンデルは、そうした主張の多くは、尊厳と慈悲の名において、末期患者の極度の痛み、苦しみを長引かせるより、自らの死を早める選択肢を与えてあげるべきだ、というものであって、自分の命は自分のものだから自由にさせるべきだという自己所有権の行使とは別物だとサンデルは言います。
さらに、サンデルは、ドイツで起こった「殺され、食べられてもよい人」を募集する広告に、実際に応募した人が殺され食べられた事件を例にあげ、もしもリバタリアンの自己所有権の考え方では、殺人し食人した者を処罰できなくなると指摘しています。
サンデルの問いかけは、リバタリアニズムから、市場と倫理へ移っていきます。
(by インディーロム 渡邉修也)


