H2Hマーケティング実践編
「正義とは?・その25:
ミルの功利主義擁護
ベンサムの功利主義に対する主な反論には、第一に「最大幸福原理は人間の尊厳と個人の権利を十分に尊重していない」というもの、第二に「道徳的に重要なすべてのことを快楽と苦痛という単一の尺度に還元するのは誤りだ」というものがあります。
こうした反論に対して、功利主義を擁護しようとしたのがジョン・スチュアート・ミルです。ミルは、個人的自由の擁護論である『自由論』や、古典派経済学の『経済学原理』など、哲学、経済学のほか、倫理学、論理学などでも重要な足跡を残した人です。 サンデルがここで取り上げているのは『自由論』です。自由論の中心原理とは、「人間は他人に危害を及ばさないかぎり、自分の望むいかなる行動をしようとも自由であるべきだ」というものです。 サンデルは、この原理について「個人の権利に関するこの確固たる見解を正当化するには、効用よりも強力な何かが必要であるように思える」と言います。 例えば「多数の人びとがある小宗教を嫌っている時、それを禁止すれば、最大多数の最大幸福を実現できる」という主張については、効用だけでものごとを判定するのは、信教の自由という観点から問題があることが分かります。 ミルの『自由論』の立場からは、少数派の宗教であっても、他人に危害を及ぼさないのであれば、小宗教の存立を擁護することなります。 サンデルは、ミルの自由の原理はベンサムの効用の原理よりも頑丈な道徳的基盤を必要とするのではないかと指摘しますが、ミルの考えは異なるようです。 ミルは「一つ断っておきたいことがある。効用とは関係のない抽象的な権利とという概念から、私の議論に役立つものを引き出すこともできるだろう。だが、私がそれに訴えることはない。効用こそがあらゆる倫理問題の最終的な拠り所だと考えているのだ。だがその効用は、進歩する存在としての人間の恒久的利益に基づく、最も広い意味での効用でなければならない」と言います。 ミルは、効用は個別の問題ごとにではなく、長期的観点から最大化されるべきだと考えているわけです。 功利主義に忠誠を誓いつつ、ミルは「ある種の快楽はほかの快楽より望ましく、価値が高い」ことを認めているわけです。 「快楽の量が同じなら、プッシュピンも詩も同じように良いものである」というベンサムとはまったく別物です。 ミルは、どんな優秀な人でもときには誘惑に負けて、質の高い快楽より質の低い快楽を優先させてしまうことを認めつつ、次のように言います。 「満足した豚であるより不満足な人間であるほうがよく、満足した愚か者であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。そして、愚か者や豚の意見がこれと異なるなら、それは彼らがこの問題について自分自身の側しか知らないからだ」 こうしたミルに対して、サンデルは次のように指摘します。 「功利主義を擁護しようとしながら、ミルは功利主義の前提から逸脱している。何が高貴で何が卑しいかを判断する唯一の基準は、もはや現実の欲求ではない。いまやその基準は、われわれの願望や欲求とは無関係な人間の尊厳という理念から引き出されているいるのだ。質の高い快楽は、われわれがそれを好むから質が高いのではない。われわれがそれを好むのは、より質が高いと認識するからである」 サンデルは、このようなミルの功利主義擁護論について人間味のある哲学者だと言い、ベンサムについては断固とした哲学者であったと評しています。(by インディーロム 渡邉修也)


