H2Hマーケティング実践編
「正義とは?・その11:
リベラルな平等」
前回は再分配に関する4つの解釈にうち、<自然本性的自由の体系>についてご紹介しましたが、今回は<リベラルな平等>についてのロールズの見解を見ていきたいと思います。
「才能に開かれたキャリア(職業選択)」について、ロールズは、<自然本性的自由の体系>が “形式上の平等” に過ぎないことに対して、<リベラルな平等>では、公正な機会均等原理を付加することで “不正義を矯正” しようとしている点について評価しています。
「もろもろの地位は形式的な意味で開かれているだけでなく、それらの地位を手に入れる公正なチャンスを全員が持つべき」であり、「同じような能力と技能を持つ人びとは同じようなライフ・チャンス(人生を切り拓く可能性)を持つべきだ」としています。
そして、「<リベラルな平等>が、社会的偶発性および自然本性的な運/不運が分配上の取り分に及ぼす影響力を緩和するという目標を達成する」ためには、「基礎構造に対する諸条件を社会システムに追加的に課す必要」があり、「公正な機会均等に必要な社会的な条件を保持する政治的・法的諸制度の枠組みの中に据えられなければならない」としています。
また「文化・教養の知識や技能を習得するチャンスが当人の階級上の地位によって左右されるべきではなく」、したがって「学校教育のシステムも階級という障壁を解消するように設計されなければならない」としています。
このように、ロールズは<リベラルの平等>について一定の評価をしているものの、それでもなお欠陥があると言います。
「<リベラルな平等>という構想が、<自然本性的な体系>よりもいっそう好ましく思われるのは確かだが、それでもまだ欠陥がありそうである」
「ひとつには、たとえ<リベラル>な構想が社会的偶発性の影響力を取り除く上で申し分なく機能したとしても、その構想は富や所得の分配を能力や才能の生来の分布が決定することを依然として容認してしまっている」
「分配上の取り分は生来のめぐり合わせの結果で決まってしまう。これは道徳的見地からすれば独断・専横的で根拠がない」、「少なくとも何らかの形態の家族が存続する限り、公正な機会の原理は不完全な形でしか実行できない」と批判します。
「努力しようとする意欲、挑戦しようとする意欲、さらに(普通の意味での)功績や資格を手に入れようとする意欲といったものでさえ、幸福な家庭と社会的情況とによって決まってしまう」
そうなると、「同じような生来の資質・賦存を有する人びとに対して、達成や教養の平等のチャンスを確保するのは実際上不可能」なのだと言います。
そして、ロールズは「この事実を認めた上で生来のめぐり合わせ自体の独断・専横的で根拠のない影響を緩和してくれる、ひとつの原理を採択したいと望んでもよかろう」、「<リベラルな>構想がそれに失敗している以上、正義の二原理の別の解釈を探すように促されることになる」と言い、<リベラルな平等>に変わる解釈として<デモクラティックな平等>の評価・検討へと進んでいきます。
(by インディーロム 渡邉修也)


