H2Hマーケティング実践編
「正義とは?・その7:
ロールズが目指す社会契約」
「原初状態とは適切な<契約の出発点をなす現状>であって、そこで達成される基本合意が公正であることを保証してくれる」
「初期状態におかれた合理的な人びとが正義の役割に関する複数の諸原理の中から選択すると仮定すれば、ある正義の構想が別のものよりも理にかなっている(もしくは筋が通っている)との判断が成り立つと言いたい」
伝統的な社会契約説の「自然状態」と、ロールズ「原初状態」の違いは、冒頭のロールズの言葉にある “契約の出発点となる現状” を、どのような“状態”を仮定し議論していくべきか、というところにあります。
ホッブス、ロック、ルソーの自然状態は、国や政府が生まれる前の状態を仮定し、争いを避けるために、人間が本来もっている権利を、国や政府に譲渡したり委託するわけで、あくまで “自分の権利(自然権)”を守るための最良の選択として、社会契約をするという発想です。
一方、ロールズの原初状態の特徴は、<無知のヴェール>というものを被った状態を想像して考えてみようと提案していることです。
無知のヴェールによって、個々人が現在持っている権利、現在の立場から期待される将来の権益などがまったく分からない状態、つまり平等な<原初状態>を想像してみましょうということです。
その上で、現時点の社会が、平等・公平でないということであれば、未来にむけてどのように是正していくべきか、分配のあり方を考えてみようとするものです。
こうした考えは、18世紀後半以降のベンサム的な功利主義に席巻された政治・社会思想の流れに対して楔を打つものです。
ロールズは、功利主義の理念の代表例としてヘンリー・シジウィックの「社会に帰属するすべての個人の満足を総計した正味残高が最大となるよう、主要な制度が編成されている場合に、当該の社会は正しく秩序だっており、したがって正義にかなっている」というものを紹介しています。
それに対してロールズは、功利主義に立つ限り、次の2つの判断の理由を挙げることが原理的に不可能になると指摘しています。
<一部の人びとがより大きな利得を手にすることでもって、残りの人びとがこうむるより小さな損失を埋め合わせすべきでない>
<少数者の自由を侵害することで多くの人びとがより大きな利益を分かち合えているとしても、それでもって正しい事態がもたらされたとは言えない>
また、ロールズは、功利主義において、<公平な観察者>が占める位置や<共感>が強調されてきたことをあげ、その公平な観察者という観念が拡張されると、“理想的な立法者” というものにつながると言います。
そうなると、独立した個人と言えども、流れ作業の別々の工程のようになり、工程に沿って権利と義務が割り当てられ、欲求充足のための希少な手段はルールによって配分され、結果として欲望の最大充足が達成されることになると言います。
そうなると、理想的な立法者が下す意志決定の本性は、商品を生産することによって自分の利益を最大化しようとする企業家と、購入財の組み合わせによって自身の満足を最大化しようとする消費者という、2つの経済主体の意志決定と大差がなくなってくる、と指摘しています。
(by インディーロム 渡邉修也)


