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H2Hマーケティング実践編 
「正義とは?・その6:
伝統的な社会契約説」

「<公正としての正義>において、伝統的な社会契約説における<自然状態>に対応するものが、平等な<原初状態>(original position)である。」

伝統的社会契約説の「自然状態」と、ロールズの『正義論』の「原初状態」は何かどう違うのでしょうか。

まず「社会契約説」についてですが、17世紀にイギリスで生まれた社会思想になります。それまでは王権神授説を楯に、国王が絶対王政を行っていたわけですが、17世紀頃になると、市民(特に資本家層)の勢力が増し、政治的な要求が増えてきます。

そうした新興勢力の立場を代弁する形で形成されたのが社会契約説で、イギリスのホッブス、ロック、フランスのルソーなどが代表的な思想家になります。

根底にあるのが「自然権」であり、人間は生まれながらに、生命、自由、財産などの権利を持っている、という考え方になります。

ホッブスは、国家権力が成立以前の状態として<自然状態>というものを仮定します。自然状態の下では、人びとは自らの権益の確保と拡大を目指すため、「万人の万人に対する闘争」が続いてしまう。それを避けるため、人びとは国家に権利を譲渡し、国家が人びとに代わって国を統治する、これがホッブスの社会契約説になります。ただし、ホッブスの場合は、人びとが権利を譲渡するのは、強力な権限をもった国王であるべきだとし、むしろ絶対王政を擁護する立場を取ります。

一方、ロックは、当時、英国国王と対立していた議会側を擁護する立場をとります。人びとは自由や財産などの権利を政府に委託し、政府はその権利を守る契約をしており、政府が契約を守らない場合は、人びとには抵抗する権利(抵抗権)があると主張します。また、自然状態についてロックは、人は元来、自由・平等・平和な存在であるものの、財産が侵害される時に争いが起こるとし、争いを避け調停していくために法や議会が必要なのだとしています。

ルソーは、自然状態についてはロックと同様に人間はもともと自由・平等・平和に暮らしていたはずだが、文明の進化によって「憐れみの情」が失われ、不平等と虚栄に満ちた状態になってしまっていると言います。ルソーは、個々の利害を追求することを「特殊意志」と呼び、それに対して、公共の利益を達成するために人民が共有する価値感としての「一般意志」が大切なのだと主張します。

社会契約説はこのようにして議論が重ねられ、イギリス名誉革命、アメリカ独立宣言、フランス革命と人権宣言などへと繋がっていく啓蒙思想でもあるわけです。

しかし、18世紀後半になるとイギリスのベンサム等の功利主義思想家によって、「自然状態」というのはあくまで仮定であり、そんな理想主義では現実の諸問題に対応できないという批判が行われ、以降、社会契約説は、啓蒙思想時代の理想論として、過去のものとされるようになっていきます。

ロールズの『正義論』は、功利主義に抗い、社会契約説の精神を現代によみがえらせようとするものです。

「自然状態」と「原初状態」の違いを説明するつもりが、前置きである社会契約説の説明が長くなってしまいました。続きは次回に。

(by インディーロム 渡邉修也)

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