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H2Hマーケティング実践編 
「正義とは?・その3:
全体の効率は善か」

「真理が思想の体系にとって第一の徳(the first virtue)であるように、正義は社会の諸制度がまずもって発揮すべき効能(the first virtue)である」

「どれだけ効率的でうまく編成されている法や制度であろうととも、もしそれらが正義に反するのであれば、改革し撤廃せねばならない。」

ロールズの『正義論』の「第一部 理論 第1章 公正としての正義 第1節 正義の役割」の出だし部分です。

さらに「すべての人びとは正義に基づいた<不可侵なるもの>を所持している」、「社会全体の福祉の実現という口実を持ち出したとしても、これを蹂躙することはできない」と続きます。

ロールズによるリベラリズムの基本精神の高らかな宣言のように響きます。

『正義論』が出版されたのは1971年です。戦後、戦勝国の米国では経済的・心理的ゆとりを背景としたリベラリズムの高揚期を向かえましたが、60年代後半になるとベトナム戦争の戦費膨張、日本ドイツなどの経済的台頭によって米国経済の陰りが目立ってきます。景気の後退ともに、米国ではリベラリズムへの(意図的な)批判が高まっていきます。この連載でかつて宇沢弘文の「社会的共通資本」をとりあげたことがありましたが、こうした大きな渦の中、宇沢は、ミルトン・フリードマンとの学内抗争に敗れ(本人はそうは言ってませんが)、日本に帰国したわけです。こうしたリベラリズムの危機の時代に書かれたということは、背景として知っておいてもよいかと思います。

「社会全体の福祉の実現という口実」は、過去も現在もよく見られます。「消費税は福祉のためだ」「子どもたちの未来のために消費税は25%にすべき」、「自動車産業はすそ野が広大で、影響も甚大なので、農業を米国との交渉に差し出しても仕方ない」など、すべて口実ですね。

ロールズは続けます「一部の人が自由を喪失したとしても残りの人びとどうしでより大きな利益を分かち合えるならばその事態を正当とすることを正義は認めない」と。

私たちは国や自治体といった「社会」の中で生活を営んでいるわけですが、真っ当な社会が成り立つ前提条件として、ロールズは「正義にかなった社会においては、<対等な市民としての暮らし(equal citizenship)>を構成する諸自由がしっかり確保されている」こと、「正義が保証する諸権利は、政治的な交渉や社会的な利害計算に左右されない」ことが大切だと言っています。

「上記の命題をどのように説明できるか?この目的を果たすには『これらの主張を解釈し評価する観点となり得る正義の理論のひとつを案出すること』が必要となる」、「そのためには、まず『正義の諸原理の役割』を考察する必要がある」としています。

第1章の冒頭では、こうした社会的な協働(social cooperation)における「正義の役割」の説明、「正義の第一義的な主題」(=「正義/不正義」の判定を他に先駆けて下すべき題目)であるところの<社会の基礎構造>の略説が行われていますが、今回はここで留めておきます。続きは次回に。

(by インディーロム 渡邉修也)

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