マーケティング再入門
「宇沢弘文『社会的共通資本』を読む・その23:
無視されたヴェブレンの主張」
「ヴェブレンは『営利企業の理論』のなかで、現代資本主義経済の制度的特徴を抽象し、それが経済循環のプロセスにどのような影響を及ぼすのかということにかんして、すぐれた分析を展開した」と宇沢は評しています。
それは、現代資本主義経済の制度的諸条件のもとでは、資源配分について私的最適性と社会的最適性の間に乖離が起こること、また金融資産市場が高度化することにより、投機が投機を生み出す状態に陥り、やがて金融恐慌が発生し、慢性的不況と非自発的失業が不可避となる、ということでした。
このような事態を回避する政策手段にはどのようなものがあるのでしょうか?
ヴェブレンの回答は「民間のイニシアティブだけに頼っていたのでは、営利企業が必要とするだけ財・サービスに対して浪費的支出をすることはできない」ため、「政府が効果的な浪費を行う」こと、特に「浪費的であるという意味で、軍備、公共的な建造物、宮廷や外交に関わる制度」が重要なものとなってくるというものでした。(浪費という言い方がヴェブレンらしいです・・・。)
のちにケインズが提唱した公共事業の必要性について、この時点でヴェブレンは指摘していたわけですが、世界恐慌が起こる20年以上も前で、金融資本市場が投機へと突き進む入口の段階であったこともあって、財界からは意図的に無視され、(財界の支援をうける)大学からも疎んじられたようです。
また第一次世界大戦後に設立された国際連盟についても、「諸国民の中立連盟」であるべきとするヴェブレンの主張から程遠い、列強国の金銭的、商業的利益の調整機関になってしまったこともあって、ヴェブレンの資本主義に対する見方はさらに悲観的なものになっていたようです。
そして、次第に「資本主義のもとでは、このように私的な意味でも、公的な意味でも、浪費ということが、完全雇用を実現するために不可避な手段であって、それは市場経済制度に内在する反倫理的、反社会的要因にもとづくものである」、「資本主義という経済体系を維持するかぎり、回避しえない矛盾である」という確信をもつようになっていきます。
1921年に刊行された『技術者と価格制度』の中では、「利潤動機にもとづいて生産企業の経営がおこなわれるような資本主義のもとでは、もともと社会的な観点からみて望ましい資源配分は望みえない。むしろ、テクノクラート、技術者から構成されるソヴィエト(国家の最高委員会)が、社会的な観点から望ましい資源配分のパターンを計画し、各生産主体に指示を与えるような計画経済のもとではじめて、資源配分の問題を社会的に解決しうる」という主張をするに至りました。資本主義に完全に見切りをつけたわけです。
しかし、時代は(特に米国は)、ローリング・トゥエンティーズ(狂騒の20年代)と呼ばれる第一次世界大戦後の空前の景気に沸き立っており、ヴェブレンが『技術者と価格制度』の中で表明した制度改革の設計については、理論的にも、政策的にも、必ずしも多くの人々の共感を得ることはありませんでした。
そして、世界恐慌の直前、1929年8月にヴェブレンは生涯を終えることになります。
(by インディーロム 渡邉修也)