マーケティング再入門
「宇沢弘文『社会的共通資本』を読む・その21:
非自発的失業は一般的なのか」
ケインズは「一般理論」の中で、「非自発的失業の状態が一般的であり、完全雇用は極限的な場合にすぎない」と主張しました。
ヴェブレンは、「一般理論」からさかのぼること32年前、大恐慌が起こる27年前の1902年に刊行された「営利企業の理論」の中で、このことをいち早く指摘し、「生産設備の過小稼働と労働の非自発的失業こそ、市場的次元での利潤追求を中心として機能している社会における一般的状況である」と結論づけました。
また、営利企業の行動原理の本質を解き明かすことで、それによって市場がどのような状態になっていくのか、さらには、いずれ恐慌などの破綻状況が避けがたく起こってしまうであろうことを予見しました。
今回は「生産設備の過小稼働と労働の非自発的失業が一般的状況」という結論がどのような筋立てで導き出されたのかみていきたいと思います。
各時点における経済全体の生産条件は、設備、機械、熟練労働などの「固定的な生産要素」がどれだけ各生産企業に蓄積されているか、原材料、非熟練労働などの「可変的な生産要素」が全体としてどれだけ利用可能か、ということによって規定されます。
新古典派理論の前提条件では、これらの要素が全てその時々の都合で瞬時に移動可能であり、最大利潤と完全雇用を実現できるというものでした。
これに対して、ヴェブレンは、以下のように矛盾を指摘し、さらに論を展開していきます。
「設備、機械、技術などの各生産企業に蓄積された固定的な生産要素は、いずれも過去の時点において計画され、生産され、据え付けられたものである」。
「過去の時点では、現時点での市場の諸条件、とくに価格、需要の大きさ、代替的な生産物ないしは技術の存在などについて正確な情報はもちえない」。
「このような投資活動の帰結として決まってくる現時点における固定的な生産要素の質と量とが、現時点における市場の条件、とくに市場価格体系のもとで最適なもの、各企業にとって最大利潤をもたらすものであるという保証はなくなる」。
つまり、「現時点に存在する固定的な生産要素が完全に利用され、雇用されることはむしろ例外的であって、偶然にしか起こらない」。
このように、ヴェブレンは、ケインズの「一般理論」の「非自発的失業の状態が一般的である」という命題とほぼ同じことを、「一般理論」に先だって主張しました。
宇沢によると、「ヴェブレンの命題はさらに、資源配分一般にかんして、私的最適性と社会的最適性との乖離という現象が起こるということを意味し、パレート最適性にかんする新古典派理論の基本命題は、現代資本主義の制度的条件のもとではもはや妥当しないということを明白に私たちに示している」ということです。
ヴェブレンの考察はさらにその先へと進みますが、続きはまた次回に。
(by インディーロム 渡邉修也)