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「宇沢弘文『社会的共通資本』を読む・その17:
ヴェブレンの制度学派経済学(進化論的経済学)」

ミルのリベラリズムの思想はヴェブレンに受け継がれたことは確かですが、スミス、ミルから、ジョン・ケーアンズいたる古典派経済学の理論については、「儀式的妥当性」に貫かれたもので、「形而上学的に正当化されるような目的に向かって、斉合的な性向をもつかどうかいうことによって評価される」ものであり、進化論以降の科学的知見で見た場合、社会科学とは言えないものだと、ヴェブレンは批判しました。

そして「事実の生起に関する因果関係について、制度的な諸条件との関連において分析、解明することができるものでなればならない」と主張しました。

ソースティン・ヴェブレンに始まる制度学派の経済学は、現在では進化論的経済学と呼ばれていますが、“進化論的”という名称はここから来ています。

ヴェブレンがこうした考えを最初に提示したのは、1898年〜1900年にかけて発表した二つの論文、“Why is Economics not an Evolutionaly Seience?”と “The Preconception of Economics Seience” でした。

1つめの論文のタイトルでストレートに表現されているように、それまでの経済学が前進化論的な学問にとどまっていることを痛烈に批判したものです。

「快楽主義の立場に立って人間を考えるとき、人間は、快楽と苦痛との電光のようにすばやく計算する計算機であって、幸福を追求する欲望の1つの塊りとして、刺激を受けると、あちこちでぐるぐると回り狂うが、自らは決して変わらない存在としてとらえられている。(中略)精神的にみるならば、快楽主義的な人間は本源的行動者ではない。生きる存在ではなく、外部的で、異質な条件によって強制されて動き回るにすぎない。」

ヴェブレンは、このように古典派経済学者たちの快楽主義的な考え方や効用理論に対して厳しい批判と強い嫌悪感をあらわにしました。

快楽主義的な人間は、前進化論的な世界(古典派経済学)にのみ通用する概念であり、本来的な人間という概念から外れてしまっていると指摘し、ヴェブレンは次のような考え方を提示します。

「人間の本性は、行動をするということにある。単に、外部的な力を受けて、喜びや苦しみを味わう、受動的な存在ではない。」
「絶えず新しい展開を求めて、夢をもち、その夢を実現しようとする本源的な性向を歴史的に受け継いできた習慣とをもった、1個の有機体的存在である。」
「人間の活動、特に経済活動は、所与の欲望を最大にするようなものではなく、行動自体がこのプロセスにとって本質的なものである。」

このような考え方に基づき、ヴェブレンは経済学の目指すべき方向性として、「進化論的経済学は、経済的利害が、文化的発展のプロセスのなかでどのような役割を果たすのかということを問題とする。したがって、それは、民族あるいは社会全体にかんする経済的生活の発展の理論でなければならない。」としています。次回もヴェブレンの経済学を宇沢の解説からたどってみます。

(by インディーロム 渡邉修也)

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