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「宇沢弘文『社会的共通資本』を読む・その15:
ジョン・ステュアート・ミル『自由論』」

「リベラリズムの思想は、ジョン・ステュアート・ミルに始まり、ジョン・デューイによって1つの哲学的体系として集大成された。このリベラリズムの思想を経済学の体系として定式化したのが、ソースティン・ヴェブレンである」と宇沢は解説しています。

宇沢の経済学、制度主義の底流にはリベラリズムの思想が色濃く現れています。そのリベラリズムの源流の1つとして、そして宇沢に決定的な影響を与えたのがジョン・ステュアート・ミルであったわけです。

宇沢とミルの出会いは、宇沢の旧制一高時代に遡ります。当時一高ではミルの「経済学原理」は、スミス「国富論」、マルサス「人口論」、マーシャル「経済学原理」、マルクス「資本論」、ヴェブレン「有閑階級の理論」、ケインズ「一般理論」と並んで、学生の必読の書であったそうですが、宇沢は一通り読んだものの、その時はあまり強い印象は持たなかったようです。(一高の必読書にヴェブレンが入っているのが興味深いですね。)

旧制一高時代、宇沢が明確にミルに出会ったのは英語の授業でテキストとして採り上げられたミルのもう1つの代表作「自由論」(On Liberty)であったそうです。「自由論」を選んだ先生は、イギリス経済思想史を専門とし、戦前・戦後を通じて日本のリベラリズムを代表する思想家であった木村健康(たけやす)でした。木村は戦後東大の経済学教授となり、その後米国から東大に戻った宇沢が木村の講座を引き継ぐことになります。

敗戦が濃厚となった1945年、木村がテキストとして選んだのがミルの「自由論」でした。宇沢は、ミルの「自由論」について「それまでの自由放任(laissez faire)の経済的自由主義の考え方を超えて、人間の尊厳を守り、魂の自立を求め、市民的権利を最大限に保証するというリベラリズムの思想を高らかに謳った書物である。おそらく、人類の生み出した思想のなかで、もっとも崇高で、高潔なものの1つといってよい」と最大級の評価をしています。

「自由論」は1859年に刊行されました。当時イギリスでは参政権拡大の流れの中、多数派の主張が正義としてまかり通るような状況が出てきたそうで、ミルは「多数者の圧政」という表現で、民主主義の政治制度における大衆による多数派専制の危険性を指摘し、「多数者の圧政」を回避するために、自由の原理から論じたものだそうです。(これは宇沢の解説ではなくネットのいくつかの「自由論」解説を参考したものです。)

宇沢は、旧制一高の木村先生の英語の授業の中で、ミルの「自由論」に感銘を受けたわけですが、その後、宇沢がミルの「経済学原理」に再会したのは、宇沢がスタンフォード大学にいた時、夏休みに海水浴で訪れた海辺の街の古本屋だったそうです。宇沢は、埃まみれの「経済学原理」全2巻をなにげなく読み始め、引き込まれ、2日で読み終えたようです。

次回は、ミルの「経済学原理」についてと、それがヴェブレンにどのように引き継がれていったのか、宇沢の解説からみていきたいと思います。

(by インディーロム 渡邉修也)

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