マーケティング再入門
「宇沢弘文『社会的共通資本』を読む・その12:
内需拡大と医療費削減」
宇沢は、2011年に倒れ、2014年に他界しているので、コロナのことは知る由もありませんが、現在のコロナ下での医療逼迫、特に地方での厳しい状況をみたら、心配していたことが現実となったと嘆くことでしょう。
80年代後半以降の市場原理にもとづく医療予算の削減の流れに関して、宇沢は将来的な医療の逼迫、崩壊を早くから予見し懸念していました。
宇沢の解説によると、80年代後半以降の日本の医療予算の削減の流れは、以下ようなものです。
まず、大きな背景となっているのは、米国のベトナム戦争から積み上がった財政赤字と対日貿易赤字という双子の赤字があります。
双子の赤字を解消するため、米国から日本に対して、80年代後半、中曽根政権の時に日米構造協議という名の強引な押し付けが開始されます。
米国の意向に従い、中曽根内閣は十年間で430兆円の内需拡大の要求を受け入れ、94年にはさらに200兆円を追加され、計630兆円を要求されます。(※注:実際に430兆円が「公共投資基本計画」としてまとまったのは海部内閣、200兆円が「社会資本整備費」として積み増しされたのは村山内閣の時です。)
内需拡大をいうと一見よいことのように思われますが、米国の要求は予算の使い道にまで及んでおり、宇沢に言わせると、基礎研究や教育や医療など中長期的に日本の国富を生み出すような領域や、企業の生産性をアップするものには使うことが許されず、リゾート開発や使い途のない工場造成や地方空港建設にばかり振り向けられたということです。
また、当時の厚生省の局長が「日本の医療費がかかり過ぎるのは医者が多すぎるからで、大学の医学部の定員を約3分の1にカットすべき」という「医療費亡国論」を唱え始めたそうで、実際に、中曽根政権から実行に移され、さらに2000年代の小泉(&竹中)政権の聖域なき構造改革で、より強力に推し進められたということです。(まさに聖域であるべき国民の健康と命を守るための医療費と医療人材の育成、そして新薬開発の研究予算もばっさりと切り捨てていったわけです。)
また、地方の医療に逼迫に関する経済面での背景を、もう少し宇沢の解説から付けくわえると、630兆円の多くの部分を占めたリゾート開発や工場造成の資金は、国の財政バランスという理由で、地方自治体に地方債を発行し、その分を国から地方への地方交付税で補うという約束だったそうなのです。
しかし、小泉政権で地方交付税の大幅カットが行われます。(つまり約束を反故にされ、はしごを外されたわけです。)そのため、地方自治体が立ち上げた第三セクターの多くが破綻に追い込まれ、そのしわ寄せが地方の医療機関の整備の遅れ、医師不足などにつながっていると宇沢は指摘しています。
これらは、すべて宇沢がまだ元気だった2010年くらいまでの著作や講演の内容であり、コロナが発生してからの後付け的な検証ではありません。
宇沢によると、これらは60年代後半に終わりかけていたパックス・アメリカーナの資本主義が、延命措置としての新自由主義の政策を打ち出し、アメリカがなんとか逃げ切るために、日本に泥をかぶってもらう構図になっているそうです。宇沢は、このような経緯で破壊しつくされた日本の社会的共通資本をいかに再生していくべきかということを常に考えていたわけです。
(by インディーロム 渡邉修也)