マーケティング再入門
「宇沢弘文『社会的共通資本』を読む・その11:
社会的共通資本としての医療」
宇沢が教育と並んで社会的共通資本の核心部分として位置付けていたのが医療です。
宇沢は「医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるのが、社会的共通資本としての医療を考えるときの基本的視点である」とし、「一国の人口のうち、医療関係の仕事に従事する人々の割合が高ければ高いほど社会的により安定したものとなり、文化的にも望ましい」とも言っています。
宇沢によると「医療とは、市民の健康を維持し、疾病・傷害からの自由を図るためのサービスを提供するもの」であり、「医療を社会的共通資本として考えると『政府』は、すべての市民が保健・医療にかかわる基本的なサービスの供与を享受できるような制度を用意する責務を負うことになる」としています。
希少資源である医療人材、施設などをいかに配分し、費用負担していくかについては、官僚的管理や市場的基準による配分ではなく、医療にかかわる職業的専門家の学問的知見により判断されるべきだとしています。
宇沢は、現行の医療制度の中では、保険点数制度にもとづく診療報酬制度が特に問題だと言っています。
宇沢は、保険点数制度の数ある問題点の中で、一番の問題点として「物的なものを中心として評価がなされていて、医師、看護婦、検査技術者などという技術料に相当するものが極端に低く評価されていること」をあげています。
診療、処置、手術などの医療行為が低く評価されるために、医療機関の収支面で、医師、看護師、検査技師などの人件費でどうしても赤字が発生してしまい、経営を成り立たせようとすると、検査料、薬剤料、特定治療材料、輸血料などによる黒字で補填せざるをえない、という構造になっているということです。
このような点数制度の偏向が続くと、長期的には、医療技術者たちのモチベーションは下がり、医療機関も経営的に疲弊し、いずれ医療が崩壊してしまうと懸念していたのです。
宇沢は、このままの状態では「医学的な観点から最適と思われる診療行為をおこなったとき、経営的観点からは望ましくないような結果を生み出す」という「医療的最適性と経営的最適性の乖離」が発生するといっています。
そして「社会的共通資本としての医療制度を考えるとき、短期的にも、長期的にもいわゆる独立採算の原則は妥当しない」こと、「医学的最適性と経済的最適性とが一致するためには、その差を社会的補填しなればならない」とし、80年代後半以降の、日本の医療予算の抑制・削減の流れを批判していましたが、これについては、また次回に。
(by インディーロム 渡邉修也)