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マーケティング再入門 
「宇沢弘文『社会的共通資本』を読む・その6:
共有地(コモンズ)はオープン・アクセスではない」

宇沢によると、新古典派的な発想で「共有地(コモンズ)」を分析・評価しようとする人たちに共通する前提条件がある、といいます。

第1は「オープン・アクセス」で、”すべての” 人々がコモンズを利用できる、というもの。

第2には、コモンズを利用しようとする人々は完全に利己的動機にもとづいて行動し、常に個別的な便益の最大を求め、社会的な行動規範ないしコミュニティの規約には制約されない、というもの。

第3には、コモンズの希少資源は必ず過剰に利用され枯渇してしまう、というものです。

こうした前提の立て方に対して、宇沢をはじめコモンズの役割や存在を肯定的に捉える人たちは、以下のような疑義を唱えます。

コモンズというときには、特定の場所が確定され、対象となる資源が限定され、さらに、それを利用する人びとの集団ないしはコミュニティが確定され、その利用にかんする規制が特定されているような一つの制度を意味する。

つまり、完全なオープン・アクセスという前提ではなく、この山、この牧草地いう特定の場所について、その場所の希少資源である森林資源、牧草を利用しようとする者たちが、相互に利用にかんするルールが決められている、あるいは伝統的に、暗黙のうちに互いに了解されている、というのが世界各地で見られるコモンズの実態であって、こうした実態を無視した前提の立て方はおかしい、という主張です。

西欧においては「自然資源は『自由財』であって、すべての人々にとって自由に利用されうるもの」と法律で規定する国も多いため、先にあげた新古典派的な「オープン・アクセス」という発想が生まれるのは致し方ないところもあるようです。

しかし、宇沢たちは、そのような近代以降の法律ができる以前から、コモンズは、地域の秩序と持続的な経済活動を行うために、地域の集団が自発的かつ相互に作り上げ守ってきたルール(取り決め、掟、しきたりなど)によって管理、運営されていること。

そうしたコモンズ的な共有地の形態は、イギリスのコモンズ(共有の牧草地)に限らず、世界各地(日本でも)多く見られ、それなりに秩序を持って運営され、持続的な経済システムを形成してきたわけで、新古典派的な発想による"特殊な" 前提条件を並べた論理展開はむしろ現実にそぐわないものだと反論します。

宇沢は、コモンズの組織、管理のあり方は、必ずしも国家権力を通じて行われるものではなく、コモンズを構成する人々の集団ないしコミュニティからフィデュシアリー(fiduciary:信託)のかたちで、共有地・共有物の管理が信託されているのが、コモンズを特徴づける重要な性格である、と言っています。

こうしたコモンズの在り方、考え方は、宇沢の中で、経済、社会のあり得べき姿の原型として捉えられ、制度主義、および社会的共通資本へと考えを発展させていく際の一つの下地になっているようです。

(by インディーロム 渡邉修也)

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