アンケートメーカー

マーケティング再入門 
「宇沢弘文『社会的共通資本』を読む・その5:
コモンズ(Commons)とは何か」

宇沢にとって、制度主義、社会的共通資本を考える上で、農業(水産業、林業も含む広義の農業)は、とても重要なものとして位置づけられていました。

宇沢は、一戸一戸の農家を経済的、経営的単位とするのではなく、「コモンズ(Commons)」としての「農村」を経済的主体にするべきと考えていました。

「農村」を経済的主体にするという考えに対して、「日本経済存立の前提である、経済的分権制度、政治的民主主義と矛盾するのでは?」という疑問が必ず起こってくるだろうということで、宇沢は「コモンズとは何か」、「どのように考えるべきか」ということを詳しく解説しています。

英語における「コモンズ」というのは「共有地」のことで、牧草地などの入会地(いりあいち)など、周辺の住民たちが共同利用できる土地や場所を意味します。

宇沢は、「コモンズ」に関する議論について、生物学者のガーレット・ハーディンが1968年に発表した論文「共有地の悲劇」と、その後の論争を紹介しています。

大雑把にいうと、まずは[共有牧草地は存在するすべての人々が利用する権利(共有権)をもつ]→[共有地は必然的に過密になる]→[牧草が枯渇]→[やがて牧草地は消滅する]という19世紀のウィリアム・ロイドの論文があり ます。

このロイドの説を引用しつつハーディンが提示したのは、「一人一人にとっては家畜をふやすことよって直接的に得られる限界的便益が、牧草地全体の条件が悪化することによってこうむる限界的被害より大きい限り、家畜の数をふやそうとする」であろうということ。また、「一人一人の個人が合理的な行動をとったとしても、全体としてみたときに、不合理な結果を生み出してしまう」であろうというものでした。

このハーディンの論文は反響を呼び、「悲劇」を回避するにはどうしたらよいのか、さまざまな分野で論争が行われたそうです。

宇沢は、新古典派的発想での「共有地の悲劇」の分析に共通するのは[私有制か、国家権力による統制かという二者択一のかたちで問題を提起]→[国家権力による統制がもたらす弊害をあげる]→[共有地を分割、私有化すれば、市場のメカニズムで、私的合理性と社会的合理性が矛盾なく統合するはず]という主張であると言います。

こうした新古典派的発想での分析に対して、宇沢は、現実に存在し、かつ機能してきた多くの共有地に対して、このような二者択一のアプローチをするべきではないと言います。(続きは次回に。)

(by インディーロム 渡邉修也)

ページトップへ