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マーケティング再入門 
「包摂を意識したマーケティングとは・その2:
ダイバーシティとインクルージョンの違い」

「人々は社会的包摂を受け入れている。包摂されるとは、同じようになるいうことではない。違いがあるにもかかわらず調和して生きるということだ。」
(「コトラーのマーケティング4.0」より)

日本においても、今後、外国人労働者やシニア就労者が増えていくのは確実ですが、「受け入れる」という段階から、彼らが真に「受容された」と感じ、互いに支え合い、活躍する社会を目指すことが大切になってきます。

ダイバーシティという言葉や考え方は、ここ10年、15年くらいの間にだいぶ浸透したと思いますが、ダイバーシティとインクルージョンとは、似ているようで少し異なります。

人事労務分野を例にすると分かりやすいと思います。

ダイバーシティとは、人種、国籍、民族、宗教の違い、障がいのあるなし、性差、性的指向など幅広い人々の違いに配慮し、多様性を尊重した考え方や取り組みをしていこうとするものです。

一方、インクルージョンは、個々の個性を生かし、活躍の場と機会を与えることで、全ての人材を活性化し、実際に活躍してもらおうとするものです。また、様々なケースに対応する支援の制度や体制を整えていくことです。

人事労務担当者からすると、ダイバーシティは、女性管理職の比率とか、外国人留学生の採用枠とか、目標と達成率を数値化しやすいので取り組みはしやすいのではないかと思います。

対して、インクルージョンの方は数値化しにくいので、一体どのようなKPIを設定すればよいのか、成果をどのように判定していくべきか、見えにくいところがあります。また、時にはリストラを断行せざるを得ないこともある企業においては、「包摂」という考えや取り組みを社内外に大々的に宣言していくのははばかられることかもしれません。

話しを社会全体に戻しても、「社会的包摂」は、理念としては素晴らしいし必要なのは理解できるが、多様な人々に配慮し支え合う社会は、コストがかかりすぎるのではないか、という意見もありますが、実際には、配慮がなく人々が排除される社会の方がコストはかかると言われています。

しかし、誰もが活躍できる社会を作ることが、社会全体ではメリットが大きいのです。

再び人事労務的な例えになりますが、「給与分あるいはそれ以上を働いてくれる労働者であれば、誰でもいい」という会社よりも、個々人の個性を理解し適材適所で活躍の場を与えてくれる会社の方が、きっと従業員は生き生きと働けるはずですし、そこから生まれるパフォーマンスも高くなるはず、と多くの人が思うはずです。

ところが、社会全体に敷衍しようとすると、途端に予算がないとか、自己責任という言葉が幅を利かせるようになるのはなぜでしょうか?マーケティングにおいても、すぐそこにある成果だけを追い求めるマーケティングからの変革が必要な時期になってきています。

(by インディーロム 渡邉修也)

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